かつての欧州のお荷物はどこのドイツだ

「欧州のお荷物」と聞けば、今は「ギリシャ」を思い浮かべる人が多いだろう。しかし、わずか、5、6年前までは、「欧州のお荷物」といえば、「ドイツ」のことを指していたものである。

低成長と高い失業率が慢性化し、「ドイツ病」という言葉も生まれた。しかも、財政赤字のルールを破るのは常習犯で、GDP比3%以内という、ユーロ圏の規定を02年から4年連続で上回っていた。
そのドイツ病の最も顕著な症状は、大量失業であった。94年から12年間にわたり、平均失業率は10%を超え、05年の冬には、約529万人が路頭に迷った。この主たる要因はドイツの労働コストと法人税率が、世界で最も高い部類に属することにあった。
冷戦の終結と共に中東欧諸国も自由市場経済に加わり、旧東ドイツよりも労働コストが低い国々が誕生する経済のボーダーレス化現象が起こった。このため、多くの西側企業が旧東ドイツを素通りして、チェコポーランドルーマニアなどに工場を作った。結果として旧東ドイツでの投資が政府の期待通りには進まず、雇用が思うように増えなかったという。
こうして、多くの企業が人件費を減らすために、工場や経理部門を東欧に移したことで、産業の空洞化が進んだ。05年の経済成長率は0.9%と、EU(欧州連合)で最も低い国の一つとなった。

そんな、劣等生のドイツが、労働市場改革と、ユーロ安が奏功し、今では欧州の盟主としての地位も自身もすっかり取り戻したようだ。
足元の欧州債務問題では、ドイツの意向に背いては何も決まらない状態。ユーロ圏首脳会議で、メルケル首相が部屋に入ってくると、途端に緊張した空気が流れ、各国の首脳たちは、「今日は、どんな厳しい注文を突き付けられるのか」と身構えるそうだ。
諸行無常、いつかまた、立場が逆転することがあるかもしれないのに、と思う次第。